ヨガホイールがあることで
今まで元気で動けていた体が突然動かなくなったり、介護を必要とする身体になった時、昔は良かったなーと一気にしょぼんとへこみます
他の人を観ては羨んだり・・
自分の身体に怒ったり、悔しさと怒りでいっぱいになります自分を責める
そこから平常にもどるのに時間を要します
ヨガではこの時間の速さも必然と養われます。
受け入れるという事
自分の中で悪戦苦闘を繰り返しながらなだめている
でも今も今までも自分の周りで助けてくれる人、見守ってくれる人、沢山います
それは人に限らず、花や木々 空気や自然の力を常に感じながら助けられ支えられ生きています
体も同じです
ヨガのポーズをとっていても、木のバランスのポーズにしても右足だけが頑張っていて他の身体の部分はただ見ているだけで支える事もしていなかったら・・可愛そうですよね右足さん・・・
学校のクラス とっても元気な子がいていつも気さくに先生と話をしている子、恥かしくて人見知りのおとなしい子
どの子も一つのクラスの大事な存在です。
バランス良く見ていく先生がいて大きな強い絆となる
私はヨガでこの話を以前にもしたことがあります
体が動けなくなったとき
人との繋がりも今まで以上に強く繊細に感じます 心と体のケア
体をサポートしてくれる人に遠慮していると相手にもその距離感がもどかしく感じ、サポートしていてもどうしていいのかわかってあげれませんし必要以上に疲れます。
お互いが気持ちよく繋がるためには自分の気持ちを正直に相手を思いやり伝えるお願いする。自分を責めてばかりだと言葉もキツイくなります。または何を言っていいのか分からなくなる。はっきり表現できない。
自分を大切にしてほしい。
背中がかゆいところを遠慮して違う所をかいてもらっても、まったく気持ちよくないし不快感が残る時もあります。
ヨガをしていて、一か所だけ負担をかけている 見て見ぬふりをしていると怪我をしますし、余計バランスをくずします。
ヨガを行う事で何年後かの自分、5年後10年後、明日にでも何が起こるか分かりません。自分の硬くしていた心の部分 執着、必要以上のこだわりが自分を疲れさせる。
病にも良くない。ストレス溜める事は身体に毒です。気持ちよく快適に過ごしていきたいです。
体の一部分ではなく体全体でヨガをする
本来の自分の身体はもっと大きかったはず
思い出せ~・・思い出せ~・・・(花より団子 マキノの言葉より)
これはちょっと表現違うかな・・
手っ取り早くいうと固めているのは自分だ!という事です
ヨガホイールがあることで寄り添う事、信頼する事、素直に自分を表現する事、人の心の温かい部分を感じながら、心も体も悠々としていきます
ヨガホイールを使う事ですら私は大げさですかねってかこれが私なのですが、この気持ちを表現するのがなぜか恥ずかしい・・・
私は本当の気持ちを表現するのが正直苦手です。でした・・・です・・???
どちらでもいいですね(笑)ね私って手がかかる子です。親に迷惑かけたかな・・・
楽しくもあり、刺激もあり、安らぎもあり・・・
ヨガで今日も動ける自分に感謝をしながら全てにおいて感謝の気持ちも必然と奥深いものとなっていけます様に。幸せの感覚です。ありがとうって・・・